前回のお話
家族と一緒に過ごすのが苦手だった、子供のころのてんまさん。
近所の洋食屋さんに入り浸っていたのですが、その店主・グラタンが糖尿病、更には膵臓がんを発症してしまいました。
痛みに耐えている、グラタンを見ていたてんまさんも、なんだかツラそうです。
痛みは身体がダメージを受けている事を知らせる、防衛反応だというけれど…
「うっ…うう…」
「グラタン、痛み止めのお薬は?」
「くすり…?」
「持ってきてあげる。どこにしまってある?」
「そこの…カバン」
「そこ?あ、これ?
ちょっと待ってね」
カバンの中を覗き込んだとき、私は絶句してしまった。
中にはグラタンが飲んでいるであろう無数の薬が、ぎっしりと詰まっていた。
どうしよう…
「ねぇ、グラタンどうしよう。
どれが今、必要な薬なのか、分からないよ」
たくさんの薬の前で、私は何も出来ずにうろたえていた。
それから数日後ー。
「てんま、俺さ。
入院する事になったんだ。
これからはさ、疼痛管理って言うの?
痛みをコントロールして貰えるから、だいぶ助かるよ」
痛みを緩和させるモルヒネは、その時の状況により量を変更する。
ミスをすると、痛みを緩和させることは出来ない。
「あー…つ~…
ううっ、くく…」
「先生!あの子、酷く痛がってます。
せめて痛みだけでも、取り除いてあげて下さい。
このまま一日中、痛みが続いたら…
生きる気力がなくなってしまうわ!」
グラタンの母親であるフサオさんは、毎日お医者さまに何か訴えていた。
「てんまっ、すっげえいてえよ。
くっ…ああ、俺…もう」
どんな困難があっても、根性で乗り越えてきたグラタン。
そんな人が痛みに苦しみ、こんなにツラそうにしている。
私だったら、きっと耐えられない。
それでも、こんなにもツラそうにしている人に言ってしまう。
「しっかりして、グラタン!
痛みに負けちゃ駄目だよ。
早く治して、退院してさ。
素敵な人と結婚するんでしょう?
新メニューの…
クリームシチューも…」
私は身勝手な人間。
苦しんでいる人に、平気で“負けないで”と言ってしまえる冷たい人間。
生への渇望を失ってしまうほど…
自ら死を望むほどの痛みを、ガンはどうして与えるの?
それは本当に防衛反応なの?
グラタンが病室のカーテンの前に立って、こちらを見ている。
“グラタン?”
起きて平気なの?
寝てなくていいの?
“グラタン…?”
あの時の記憶を、忘れないよう心に刻もうとしたのに、やはり年月が経つと薄らいでしまっている。
とても記憶が曖昧だ。
記憶を失うというのも、防衛反応なのだろう。
ツライ出来事から、自分の心を守るために…
ホントにツラいのはグラタンであり、フサオさんなのに。
自分が無力な人間だったという記憶も、薄らいできてしまっている。
“人は死んでしまう”
その事だけは、しっかり忘れずにいるけれど。
人は死ぬ。
私を置いて…
あの時のことを思い出すとふと、異母妹のことを思い出す。
経験した全てのことを、細部まで覚えている妹。
それは…
それはやはり、ツラいだろう。
それなのに私は、そんな妹の前で頼りになる姉としての振る舞いを出来ないでいた。
話くらいは、聞いてあげたいのだけれど。
「てんまー何してんの?」
「まゆちゃん!私の不死身のまゆちゃん」
「あ?」
「ねぇ、一緒に話を聞いてあげようよ」
「誰の?」
「へへへ」
「気持ち悪い女だな。
ほら、早く行くぞ。
今日は小料理屋の三すくみで、夏バテ対策料理食うんだろ?」
「うん♪食う、食う!
長生きするする!」
「…気持ち悪い女だな」
ツラいときにはやっぱり、美味しい料理を親しい人と食べて、心も体も健康にしたい…
改めてそう思った。