うちの父親は薬の研究に夢中で、あまり家に帰って来ることは無かった。
その上、あまり喋らないので、どういう人間なのか把握出来ていない。
ただ、女にモテる事だけは理解していた。
娘からしたらよく分からないが、母性本能をくすぐるらしい。
確かに仕事以外は、何も出来ない人間のようだった。
まるで野山に捨てられ、自分ではどうすることも出来ない、血統書付きのぬいぐるみのような犬みたいではある。
そんなよく分からない人間と家族として同居している事が、何やら不思議な感じがしていた。
そしてその父とすぐに離婚した母も、だいぶ自由でなにより仕事優先人間。
離婚した直接の原因は父の浮気ではないが父のことは“浮気相手にくれてやる”という母。
何故かそのタイミングで私も、浮気相手の家で暮らすことになってしまった。
そもそも父は私の母のことを“奥さん”だという認識をしていなさそうだったので、奥さんが途中で変わったことも最悪気付いていないかもしれない。
父は仕事以外、興味がないのだ。
父の新しい奥さんは美しくて…
随分と嫉妬深い人だった。
おそらく父のことが、好きだったのだろう。
父のことを本気で好きだった、唯一の人。
そしてそこには一つ年下の、異母妹のしょうまがいた。
彼女に初めて会った5~6歳の時。
可憐なお姫様のようだと思った。
“もう私は主役じゃないんだ”
魔法使いのおばあさんは、この娘の前に現れる。
森の動物たちに守って貰えるのは、私じゃ無い…
太陽も花も丘も小人も全部、この愛らしい少女のもの。
なのになぜかこのしょうまは、私からの愛情だけを欲していた。
いつも私の気を引こうとした。
私がしょうまの母から嫉妬の対象になってしまうので、家では隠そうとしていたが常に意識されている気がした。
妹は全ての出来事を記憶しているのではと思うほど、驚異的な記憶力を持ち、私とのやりとりを忘れられると、とても悲しそうにした。
その顔を見てからはなるべく忘れないよう、その日の出来事を絵にして覚えた。
薬剤師になった今は、患者さんの顔の特徴をスケッチしている。
そのため患者さんの顔を、すぐに覚えることが出来た。
でも…
“なんでも記憶をしてしまう”
それはとてもツラいことではないのか?
ツラい記憶も、永遠に忘れることが出来ないのだから…
時は決してしょうまには、手を差し伸べてはくれない…
そんな微妙に血の繋がった妹のしょうまとは、どう対応したらいいのか…
未だによく分からない。
当時も私は、家族以外の所に居場所をもとめた。
「あっ!グラターンっ!」
「てんま?グラタンじゃなくてケシ君な。
それより見てみろ、こんな水たまりにおたまじゃくしだ」
「ほんとだ、かわいー」
グラタンことケシは、老舗洋食店の店主だった。
ちょこまかとよく動く早口の母親、フサオさんと共に働いていた。
いつも私が喜ぶことをしてくれる人たち。
物心がついた頃から“おやつ食いに来い”やと言って、お店の休憩時間にグラタンやドリア、クリームコロッケを食べさせてくれた。
ここにいると、とても落ち着いた。
家族がいる、あの家にいるよりは…
「てんまちゃん、今日も来てくれたのね?今日も可愛いわね。今日も天気がいいわね!
そして今日は何食べる?」
「グラタンがいい」
「クリーム系好きだな」
「あら、いいじゃない。クリーム!
あたしも好きよ。
あっつあつのクリームを、ほおばると幸せな気分になるじゃない。
ねぇ、てんまちゃん」
「うん、ひひ」
まろやかなクリームのものを食べると、ホントに心がほっこりした。
グラタンの作るグラタンは、いつも心をほっこりさせてくれた。
ここの洋食店には、グラタンの人格や料理にひかれた客たちが集っていた。
「今日もチーズのびる~」
「遊びながら食ってると、ヤケドするぞ」
「いひひ、おいしー」
「てんまちゃん、オムライスもオススメよっ!
タバスコいっぱいかけると美味しいのよ。
おばさんはね、いっつも20滴くらいかけちゃう」
「オムライスも食べたい」
「じゃあ作っちゃう!
量はどのくらいがいい?
トッピングは?
ハンバーグのっけちゃう?」
「母ちゃん、それは食わせすぎ」
「なによ、あんたはすぐ口出すんだから」
羨ましいな…
グラタンが羨ましい。
こんなにも人を癒すチカラを持つグラタンが…
「ねえグラタン。
新メニューはどうなった?
開発中だって言ってたけど」
「新メニューは…」
「新メニューは?」
「クリームシチューを作る」
「クリームシチュー?」
「家庭の定番メニューだけど、うちの店には無かったメニューなんだ」
「この子ったらまた、クリーム系のメニュー作るんだって」
「クリームシチューかぁ。
グラタンあたしね。
豚肉好き。ブロック肉入れて」
「ポーククリームシチュー?」
「うん」
「やだ、てんまちゃん。
やっぱりクリームシチューはチキンじゃない?
芽キャベツ入れてさ」
「芽キャベツより、ブロッコリーがいい。
ヤングコーンも入れて?
あとエリンギもね」
「なんか、てんま用の賄い作らされるみたいだな」
「クリームシチュー専門店とか珍しくていいんじゃない?」
「クリームシチュー専門店?
カボチャとかコーンとかきのことか鮭とか?
当たるかな?
カレーよりクリームシチューって、好き嫌いあるだろ?
でも卵かけご飯の店とか、味噌汁の店とかあるしな…」
いつものことですが、グラタンはいつもいつも、意見を取り入れ色々試してくれます。
「ふふ、だけど新メニュー楽しみ」
続きます