おたまじゃくしを卒業したばかりのクロ太さんと、弟のタマちゃん。
長い雨が上がり、ようやく外に出て来ました。
クロ太さんは、池で暮らしていた頃に戻った感じがするので、雨が苦手です。
いつも水底から空を見上げ、「大人が遠いいなぁ」と思いながら陸で暮らす日を夢見ていました。
ついに初めて陸に出れた日。
嬉しくて、ピョンピョンとジャンプの練習ばかり繰り返していました。
今は雨が続き気分が沈んでいるクロ太さん。
でも気温の上昇と同時に、気分も盛り上がってきて、ついまたジャンプ。
なぜだかとても高く飛べる気がしたのです。
弟のタマちゃんは、妖精さんのようにフワフワ飛ぶ事が出来ます。
それがとても羨ましい。
とても……。
クロ太さんは、タマちゃんに負けないよう、力の限りジャンプ!
「ポンポン……」
タマちゃんが何やら呟いています。
そんな事をして遊んでいたから、お腹が空いてしまったみたい。
「タマちゃん、叔父さん所行く?」
三すくみで働くフロ次さんは、クロ太さんと、タマちゃんの叔父さんです。
「そうめんはじめましただって。食べる?」
こっくりと頷くタマちゃん。
お店の中に入ろうとした時、ジメジメとしたお店の裏側に誰かがいるのが見えました。
ナメ江さんが、お店の裏側で春の早採れ茗荷を採取していました。
「今年ハ茗荷ガ早ク出テ来タノデ、オ素麺ヲ早メニ、オ店ノ方ニ、出ス事ニシタンデス」
「これ茗荷のお花?可愛い」
「ソウデスヨ。オ店デ販売シテイルノハ、茗荷ノ蕾ノ部分デス。“ミョウガタケ”トイウ茗荷ノ新芽モ天麩羅ヤ薬味ニシテ食ベラレルンデスヨ」
「茗荷……」
お店に入るとフロ次さんが、迎えてくれました。
「いらっしゃい」
「おそうめんを食べにきました」
三すくみで出しているそうめんは、薬味と具が選べるシステム。
更に、付けダレはめんつゆ・ごまだれ・くるみだれを自由に使えます。
「たくさん薬味の種類があるね。迷っちゃう」
具と薬味は20種類以上ある中から、お好みの10種類を選ぶ事が出来ます。
【選べる具材と薬味】
・ネギ ・茗荷
・生姜 ・にんにく
・錦糸卵 ・ささみ
・きゅうり ・揚げなす
・揚げ玉 ・カマボコ
・大根おろし ・貝割大根
・納豆 ・三つ葉
・うずらの卵 ・ワカメ
・ゴマ ・おかか
・刻み海苔 ・シソ
他、甘辛く煮た刻み油揚げやしいたけ、わさび、この間作った七味等がずらりと並んでいます。
マメチュー先生が言っていたのですが、薬味というのは、漢方用語だそうです。
五味という漢方の基本となる考え方が始まり。
シソや生姜等は、漢方の薬味としても使用されています。
かやくご飯の加薬も“加薬味”と言い、薬味を加えるという意味。
【加薬】
主薬(主成分となる薬剤)の薬効効果を高めるために加える補助的な薬のこと。
「薬味の変わった匂いは、薬の匂いみたいなもの?」
「変わった匂い?いい香りだと思うケド。でもネギは免疫機能を整えるし、茗荷は塩分を排出するし、生姜やシソは殺菌効果がある。薬味が健康にいいのは確かだヨ」
「そう…なんだぁ」
「塩分排出……沢山茗荷ヲ摂取シナケレバ。
クロ太サン達ハ、メニューニ迷ウヨウデアレバ、オ勧メ紹介シマスヨ。」
「そうダネ。錦糸卵とか、ささみ・カマボコ・油揚げ・海苔とかはどうカナ?」
匂いが強めのものは苦手そうだったので、癖のない子供向け食材ばかりをお勧め。
「そういえばボクもシソとか茗荷は、苦手だったヨ。でも伯母さんが昔、食欲が無いと言って茗荷のぬか漬けをシャクシャク食べていた事があってネ」
「なんだか分かんないケド、当時それにすごく憧れて茗荷を格好良く食べられるようになりたくて。少しずつ食べてたら、食べられるようになったんだよネ」
大人のエピソード。
それを聞いたらクロ太さんも、茗荷を食べられるようになりたいと思ってしまいました。
“茗荷のぬか漬けで、お茶漬けをサラサラ食べる……大人っ!”
「茗荷も下さい!」
茗荷の癖の強い味にびっくりしてしまい、思わず吐き出してしまう。
茗荷が食べられなかっただけなのに、ショボンしてしまうクロ太さん。
彼は水底にいる頃から、早く大人になりたかったのです。
「パイロットになって、大空を自由に飛びまわりたい」
ずっとイメージしていた大人になった自分。
身体や年齢は大人に満たなくても、考え方や仕草は自分次第ですぐにでも大人になれるはず。
人より早くパイロットの夢を掴みたい。
タマちゃんよりも、虫さんたちよりも
高く空を飛びたい。
「前世はきっと鳥だったんじゃないかと思う。あの空が自分の居場所…根拠なんて何も無いけど、ずっとそう思ってきた」
そして大人の真似事ばかりした。
お猪口に水を入れて、お酒のんでいるみたいにちびちび飲む。
フライドポテトを食べるたびに、タバコを吸っているようにくわえる。
そんな事をしてもコーヒーすら飲めなかった。
いつまでたっても苦かった。
コーヒー牛乳は飲めても、コーヒーゼリーは未だにダメだった。
“ガララ”
お客様が来たようです。
来店したのは、キノコさん。
そうめんを注文したキノコさんは、まずはめんつゆに揚げなすを浸し、そこにネギ・生姜・ニンニクを加えてゆっくりとつまみはじめました。
クロ太さんには無い、大人の食べ方。
何だか落ち込んでいる様子のクロ太さんの為に、フロ次さんは茗荷をとっても薄く切り直して持ってきてくれました。
「美味しいかも」
強かった茗荷の癖がいいアクセントになり、美味しく食べる事が出来たクロ太さん。
その程度の事でも嬉しくて、完全体の大人であるキノコさんに今すぐにでも自慢したくなる。
でも我慢。
(すぐに認めて欲しくなる……そこが自分の子どもっぽい所なんだ)
そんなクロ太さんをよそに、他の具材を注文するキノコさん。
「そうね、後は錦糸卵・ささみ・油揚げ・きゅうりを貰える?」
大人振る必要のない彼女は、大人っぽい・子どもっぽいなんて事は何も気にせずに注文。
ほんのりでも背を高く見せるために、一生懸命背伸びしていたクロ太さんは自分の幼さに改めて気付いてしまったようです。
更にそんな下らない事で落ち込んでいる事に回りの大人たちに気付かれ、慰められてしまう。
「気持ち分かるわ。でも今の貴方が美味しいと思うものを食べたく方が、良いと思うわよ。偏食は良くないだろうけれども」
「無理ハ、イケマセン」
「嫌な思いするだけダヨ。食べるの嫌いになったらもっと困るデショ?」
「はい…」
クロ太さんの複雑な心の中。
“みんなもう完全体の大人側だからそんな事、余裕で言えるんだ”
という思い……
“無理して大人になる必要は無いと、伝えようとしてくれている”
という大人たちの思い。
それに気付いて、色んな感情が入り混じった感覚を感じていました。
まだ人として未熟だけれど、“ひねた感情の方は封印しなければ”そう思ったクロ太さん。
もう一度「はい」と深く頷きました。